闘病中の仕事。

2015年10月17日 21:51

退社後、まず銭函の職業訓練校に在籍しました。一応目的は「社会人の再教育」で

「社労士・公認会計士」を目指すだったんですが、なんか勉強している人はいない

~今は訓練校はもっとシビアです~そこから「いかにも北海道」らしい会社に就職しました。

社長がいい加減で、計画なり夢が無い。毎週月曜日には「総括」…まあ、イジメ倒すん

ですな。コピー機のレンタルだったかな?即辞めたけど。
 

それから、資格を取ってOAインストラクターやったり、今は無き初級システム

アドミニストレータ~社内SE向けの資格?なのかなぁ経産省(当時は通産省)

管轄の資格取りました。

ただ、それがあった事で、「全国規模の出先機関機器リプレース」という

プロジェクトの北海道担当リーダーになれました。広いので効率が悪いから、

協力会社(子会社)社員が任されたんですよね。

当時、道内には40拠点。纏めているのは札幌、函館、旭川と釧路。で、大変

だったのは奥尻、利尻、礼文に出先がありました。機器更新と集中化を同時にやった

ので、結構無くなった所も多いですが、モール(ケーブル保護用被膜)持って奥尻に

行った事が懐かしいです。


ともかく役所なので会議の連続。朝一番の「スーパーおおぞら」で昼前に着き、合同庁舎等で

昼食&待ち。13時から会議で、1時間やってそのまま帰る。そして翌日は函館。あと、

遠隔操作ができなかったので、中央から交付されたCD1枚持って出先へ。一日で余市、

岩内、寿都とか、最高に酷かったのは旭川、名寄、紋別を二日で一人でやったり、

稚内で相手さんが待たせたので最終に乗れず、夜行になったり。

…通院中だったから、余計酷かった。

9末で統括リーダーが退職し、営業が統括するようになってから酷かった。

営業がSEの管理なんかできる訳ないし、褒める事ができず苦情ばかり言われた。

結局、ピークも過ぎたし、3月にお客さんから「何で地区統括を協力会社がやるのか。契約違反だ」

とクレーム付けられ3末退社、と言うか、引継ぎがあり4末退社だったけど。


ただ、辞めてから会社に猛抗議した。「残業代再計算しろ」

しかもGW明けに「仮払金は払えない」ってメール来て猛抗議、残業代だけで

100万近くは貰った。(というか未払い)
そもそも、基本入れ替えは金曜日業務終了後開始、土曜日昼までに完了だから、原則徹夜。

ベンダー(メーカー)間のやり取り中、ひたすら待ち。後は真冬の礼文。流石に欠航も

困るので火曜から翌週月曜まで滞在。(日曜は欠航)で、月曜に函館アポがあったから、

函館の人にも迷惑かけました。楽しかったのは最初の1ヶ月だけでしたなぁ。友達も無くしたし。