施設を辞めて…

2015年10月17日 22:32

会社に入りました。「我々はベンチャーだ」が合言葉の、ネットワークカメラの会社。
ところが昼間はひたすらアポ取り。アポを取ってから訪問、まではいい。
毎日、終業後はメンテナンス。理念、と言うか計画性が無い。
アポ取りは楽しかったけどね。

 

そりゃ、攻撃性は強いし、アポ取りは上手。更に某大手マンション会社の工事現場の

カメラ設定(毎週建築中なので、変わるから)とかは結果を出しました。

(あの会社は、設計から杭打ちまで記録しているから、「建築偽装」は出来ない!)
当然、夜遅くまでいるのは、能率が悪い。と言うか集中力が落ちる。

それに面倒なのは、社長と代表が違うと言う事。で、カメラを使って常に会長は監視。
体が悲鳴を上げた。ってか、労働基準法的に如何なんだろうか。

その後、舞浜駅からバス15分のパソコンのテクニカルコールセンターでの総合受付。
しかもこの会社、年間原則350日くらいは営業だから、土日もシフトが来る。
当然TDRのお客さんの脇で連絡バスに乗る。。。しかも土日はバスが少ないんです。
一度だけ良かったのは、風に弱い京葉線が運休になっても、バスは動いてました。

ちゃんと帰れました。
評判は良かったです。そりゃ、北海道で3年はやったから「受電本数」には自信ありました、

ただ、資格的に不足もあったし、コールセンターとしては使っているパソコンは不良部品を

集めたマシンばかりで、席が先着順。なぜか後から来て「私の席」と言い張る人もいましたが…
で、再就職手当も貰い辞める事になり、派遣のコーディネータさんと業務後、
6月のやたら寒い舞浜駅前で、話し合ったなぁ。
で、鋭い人はわかると思うが、舞浜の駅前。寒い6月の夜でした。あそこの駅、カフェが無いんだよね。。
そして、二人で花火を見て話していました。仕事の事、私の将来の事など、コーディネーターさんは

本当によくして下さいました。

その後、インフラエンジニアになりたいとCCNA(2015/10/30に失効)とLPICって試験を受けました。
コンピュータネットワークの基礎の勉強と、Linuxサーバー基礎の試験。殆ど役に立っていないけど。
で、ネットワークエンジニアになって最初に入った会社。2次請の会社だったかな。ともかく、

「契約書類が杜撰」。やることなす事全てが杜撰な営業。あらゆる取り決めは書類一枚で運命が

決まるんだから、

人を「商品」とする以上、契約ミスは許されない筈なのに、ともかくいい加減。

それは私に対しても、1次請けの会社さんにも。で、長続きせず。小さなプロジェクトとかやって、

2013年9月から12月まである会社経由で、「全国拠点のPCリプレース」担当になりました。
北海道から沖縄まで、全国50~60拠点。求められたのは「一定の知識」「正確さ」「スピード」と
「コミュニケーション」。テクニカルだけでも、コミュニケーションだけでもダメ。なぜか当初計画では

関東は私が多く、茨城以外は私がやりましたが、当初は関東専門のスケジュールでしたが、

「コミュニケーション」なり、「スピード」に問題があり、半数のエンジニアは入れ替え。
で、何故か岐阜、長野、高知、愛媛、広島辺りが回って来ました。
中には宇都宮(戻り)長野、高知が1週間で、と言うのがありまして、
長野から高知まで名古屋経由で深夜バスでレンタカー、更に帰りも日曜最終便。領収書は

高知でやたら高くしたり、LCC使ったのに羽田で払い戻したり…やりたい放題でした。

って、辛いこともありまして、直上の上司が会社に「悪いことしか報告しない」。
まあ、完遂したのだから、この会社には恨みも何もありませんが。

その後入った会社が、ともかく3ヶ月に一回ホテルで「交流会」やる位派手好きだし、

仕事はデータセンター常駐。まあ、でっかいパソコンがあって、それを24時間365日見守るのが仕事。
会社にITマネジメント系の資格を二つ取らされたけど。月12回の16時間勤務の後、帰社命令。

超勤どころが、交通費も出ない。まあ、契約期間満了で終わったのです。